被害後 生きるアイデア <夢を変える・記憶を変える>
- 她他后敬子(たたうしろ すきこ)
- 2023年8月29日
- 読了時間: 10分
更新日:2023年9月8日
2023/08/29
< アイデアG ?!>
自分一人のみで「自分を最高の人間だ」と思うことぐらい天変地異がなければ、体調を取り戻すことは 出来ない気がする。
被害者たちの多くは、謙虚であり、自分を最高の人間だと短絡的に思えないステキな人が殆ど。
そのステキさが、体調を悪くし続ける・・・
【自分自身の常識を覆えす】という方法を考えてみた。
2003年、被害に遭った部屋がGだらけだった。
Gは虫のことで、苦手な人が多いのでGと書く。
被害後、自分の目の中に いつでもGが何匹かいるような気がした。
眠ると、何万匹ものGに埋もれるという壮絶な夢で目を覚ますこともあった。
酷い時には数日に1度Gが夢に出てくる。
それが20年くらい続いた。
この夢に限らず、そもそも夢見が悪い。
夢だけでも生きることをやめたくなる。
夢を見ている時は、それが現実なのだ。
小学1年生で すでに夢は悪夢ばかりで、良い夢など生涯で数回しか見た覚えがない。
12年前30才のとき、デンマークに留学し、学校で訪れた【ラナス熱帯雨林】という動植物園で信じられない経験をした。
熱帯エリアのようなところがあり、小洞窟があった。
コウモリでもいるのかな?と思って、1人で中に入った。

⇈動植物園【ラナス熱帯雨林】のホームページ写真
何かの触覚がワサワサ揺れていた。
100匹ほどのGが目の前にいた。
「うわぁぁぁ~(無言)」
ガラスや仕切りは一切ない。
小さな洞窟に何千匹といたのでしょうが、即座に、しかしGに刺激を与えないように ゆっくりと逃げ出した。
その後、動植物園のトイレの個室に入ると、ポスターが貼ってあり、ここのセールスポイント動物が6種 載っており、
その1つがGだった。
「うわぁぁぁ~」
早く個室トイレから出たいが、用を足さないといけない。
なんだかGがいるような気がして、個室トイレの死角に脅えた。
動植物園のセールスポイントがGって、一体どういうことだろう?
・・・デンマークに来る少し前、東京の日本語教師養成学校に通った。
世界中(アジア中心)に住み日本語を教えている日本人が、日本語教師の資格を取りに来ていた。
台湾に住む日本人学生が数人いて、その1人が「台湾のGは異様に大きい」と言っていた。
聞いてゾッとしながら、“暑い所にいる虫は大きいのかもしれない” と想像した。
他の生徒が、「少し前まで北海道にはGがいなかったらしい」とも言った。
交通機関が整備される前は、北海道にGはいなかったらしい。
デンマークも寒い国だ。
普段Gを見ることがないからこそ、動植物園のセールスポイントになるのだろう・・・
現在2023年8月。
4カ月ほど前に図書館で『G図鑑』を借りてみた。
Gの悪夢が多すぎるため、なんとかGに対するイメージを変えられないかと切実に感じた。
デンマーク人がGを苦手ではなく、むしろ動植物園のセールスポイントにしてしまうことは、【常識というものが条件が変われば通用していない】ことを意味しており、G克服への希望を見つけた気がした。
『G図鑑』は表紙も気持ち悪ければ、本を開くのも恐ろしかったが、子どもを巻き込んで 図鑑を開いた。
それから3日間、子どもぬきで 図鑑を読んだ。
<Gトリビア>
図鑑を読むと、噂:【 Gが家に1匹いると、実は家の中に30匹いる】は、嘘かもしれないと思えた。
Gは成虫になるのに3年もかかるというのだ。
仮に、赤ちゃんGがいたとしても、至る所にコンバットを置いている(20数個)我が家で3年間 育つことは出来ないだろう。
悪夢のように成虫何万匹に埋もれることは有り得なそうだ。
いっきに増えることは出来ないと、自分なりに結論を出した。
Gは世界中に4,000種類もいるが、屋内に入って来るのは 4種類のみなのだと知った。
しかも、軒下にいるのが普通だということ。
実はGは 飛ぶことがとても下手で、人間から逃げたいのだが、上手く飛べず、人間に向かって飛んでくるように見えるらしい。
飛ぶことが下手でない虫でさえ、人間みたいな巨大な生き物に見つかり、アタフタしてもおかしくはない。
ペット用Gもいる。
ペットとして人気なのは【はてなマークG】や【瑠璃色G】。
【はてなマークG】は Gっぽくなくて 結構かわいさもあった。
考えたくはないが、食用もいる。
何と、カマキリはGの親戚である。
カマキリは むしろ好きだ。
今でもGにゾッとはするが、図鑑のおがげで、かなり認知が変わったような気がする。
それとともに実際にGが夢に出てくる回数は格段に減った。
こうなってみると 至極 当たり前なのだが、【恐れが夢を見せている】ことに気付いた。
実は こんな悪夢の減らし方を、専門家(精神科医)は知らない。
以前から「夢見の悪さをどうにか出来ないか」と聞いたことが何度かあるが、誰も答えることは出来なかった。
精神科医は「夢ってそういうものではないんですよ」
と、それらしく上から言ってきたり、こちらを諭そうとするが、悪夢を減らしたり無くしたりする答えを持っていた訳ではなかった。
これも 考えてみると当たり前だが、
苦しんできた当事者の方が解決策を思いつく可能性は多いにあるのだ。
I(わたし)のPTSDは異常にシツコク、疲れたからでは許してくれない。
長い期間を耐えるほかない。
22才から27才までは解決策が1つも見つからず、どんどん調子が悪くなり、死に向かっていた。
未遂後はもっと酷かった。
精神科医の行った5点拘束が、人間扱いではなかったからだ。
人間扱いされなかった経験をもつ人間は、精神を衰弱させられる。
日本では拘束を、「保護」だの「合法」だの言っているが、スイスでは精神障がい者への拷問の歴史を博物館で展示している。
【拘束を「保護」と言う国 日本】
【拘束を「拷問」と言う 多くの国々】
当事者は、拷問だと答える。
昨日、アイデアが出た。
Gのように、自分のなかの常識・認識を変えてしまうのはどうかということ。
(また記憶を自分の都合の良いものに変えてしまうことは出来ないかということ)
例えば、【今までの加害者たち(性暴力に限らず)を、自分の好きな思い出や、好きな人との思い出に変えてしまう】ことは出来ないのだろうか。
性暴力後は、性暴力以外でも対処不能な 沢山のトラウマを抱えることが異常に多くなった。(毎日のように)
被害の記憶を、好きな人との記憶に置き換えるなんて、考えただけでもヤバイ気がした。
恐ろしい気がした。
拒否反応はGと比べるまでもない。
Gで成果が出せたことを、同じように加害者たちに応用しようとしたが、
″自分自身が壊れて、再起不能になる可能性が高い!”という直感があり、拒絶反応がおきました。
それで昨日は諦めました。
今朝は いつもより更に最悪な気分で起きた。
もう生きられないのだという重力が 自分に のし掛かっていました。
いつも急に強い 生きられない感覚に襲われます。
もう何十回と味わっていますが、この数年は、いつまで続くか分からない時間を耐えることに 体が拒否していることを感じます。
痛みを伴わずに死ねたら どんなに良いだろう。
自殺したいわけじゃない。
痛いのが嫌。
安楽死が良い。
日本の良い未来が見られなくて残念とかもない。
たとえ残念と思っても良いから、生きたくない。
くだらない。
性暴力に限らず、理不尽なことを嬉しい思い出だったと思いこめないだろか。
どんな方法でも良いから、死が自分に近すぎるところから抜け出さないと苦しすぎる。
しかも、毎回、新たな難題が来るので、毎回そのアイデアは より過酷なものとなる。
アニメ鬼滅の刃では、〔鬼の始祖であるムザン〕は他の鬼に使った毒の情報を共有しているので、他の鬼に使った毒を ムザンには使えない。
このムザンのように、前のアイデアが使えないことが結構多い。
すでに乗り越えているのに、そのアイデアをもってしても、次にまた死にたくなったのだから。
(余裕がなくて、前のアイデアを思い出せないこともある)
人は、いつでも何かの洗脳状態(思い込み状態)にある。
例えば、恋愛という概念は明治以降に日本に入ってきている。
今 「恋愛」というものが当然存在すると思っていても、そんな概念は たかだか150年程しか日本にない。
逆に150年後の人間に【令和を生きる大多数の人間は、「恋愛感情が自分にはある」と思い込んでいた】などと分析されるかもしれない。
とにかく、不安定から解放されるためには、自分を誇れること。
日本人は自分を誇ることが情けないと教育されてきた。
ここを変えなければいけない。
「自分を好きになれる」「自分を誇れる」ようになるアイデアなら、何でも利用してみたら良い。
それが難しくなれば、次に利用できそうなものに 考えをスイッチすれば良い。
この頃は【 好きな人 イコール セックス相手】ではなく、❶【恋愛として認識する性別】➋【尊敬できる性別】❸【性欲相手になる性別】に分けてみています。
そんなこと今まで考えたこともなかったが、「同性をセックス相手に考えられそうにないが、恋愛としてならどうだろう」と新しい価値観を試してみる。
被害後は日本人男性を信頼出来ないような気がした。
身近やメディアに映る日本人男性で、女性問題を真剣に考えている人を見たことがなかった。
そのような人間を好きになれないのは当然だった。
しかし、同性はセックス対称じゃないから、やっぱりレズビアンにはなれなさそうだから、アセクシャルになったのかもしれないと短絡的に考えていた。
こういう風に分解してみると、セックスを伴わないでも恋愛と言えるなら、可能性は出てくる。
このように、今までの自分の常識を1つでも 違う視点で見られたとき、それまでの自分の洗脳を暴くとき 生きられる可能性が出てくる。
苦しむことから離れたいとき、自分なりの常識を根底から覆さねばならない。
これを【アイデアG】とでも名付けてみたい。
Gに あやかって(笑)
20年前は、日本人男性から聞いたことのある【性の価値観】は異常だった。
・据え膳食わぬは男の恥
・女性の痴漢(痴女)に遭うことは、自慢になる
・風俗店で女性を買うことは悪い事ではない
女性と性交することがホモソーシャル { マチスモ (男性優位主義)を 前提 とした男性同士の連帯社会}で自慢になる場合、その価値観に染まった男性は、女性からの被害をレイプと認識することが出来ない。
このような異常な価値観に、人間(日本人男性)という生物は染まることが出来る生き物である。
その異常な価値観を利用する。
加害男性達から【生きるヒント】をもらうなんて、拒否感で吐き気がするが、それでも使えるものを使う。
・・・結局、当事者でなければ、奇抜なアイデアは出せないのではないかとすら思う。
レイプ被害の当時者でなければ、ここまでしないと生きられない切実さは見えないから、専門家からも、フェミニストからでさえも、「こんな考えはミソジニー(女性嫌悪)だ」と瞬殺されるかもしれない。
ただ、常識が何なのか自分で見つけ壊すためには、自分の常識と正反対のことを考えなければならない。
つまり、その試みと自分の考えがズレているから、生きるヒントになるのだ。
当事者じゃない人間は、倫理観に基づいたアイデアを探そうとする。
しかし、当事者は 多重人格や乖離を起こしたりする。
それは、当事者ならではの一般常識を超えた現象だ。
サバイバーの13%が 実際に自殺未遂を起こしているのだとしたら、自分なりの奇抜なアイデア(自分の考えと真逆のアイデア)を試しても良いのではないだろうか。
希死念慮(きしねんりょ)から一瞬でも離れられたのなら、奇抜アイデアも また共有の価値あり なのだ!
自殺願望がある人は、とにかく自己評価が低いので、それを反対にしなければならない
<生き辛い自分の常識は何だ>
出来るかぎりアイデアを出す。
それは人から見て(他の被害者から見てでも)常識外れであって良い。
むしろ、自分から見て常識はずれでないと、自分の認識を変えることにならない。
アイデアGは自分のなかの無意識の認識にアプローチすることなのだ。
<おわり>
<注意事項>
【今までの加害者たち(性暴力に限らず)を、自分の好きな人に変えてしまう】というときに、アニメキャラを設定することの弊害
認知を変える時、加害者をアニメのキャラに変える人がいるかもしれません。
実際は頭のなかで思考するだけなので、一見、問題が無いように見えます。
ただ、日本人自身が知る必要のある問題があります。
日本人は恋愛相手をアニメキャラにする人が結構いますが、日本アニメの女性キャラは外見・声のトーン・幼いことが良いなど、女性蔑視で、国外・国内問わず問題になっています。
日本の【極度に体形がデフォルメされたアニメ表現:萌え絵】は子ども達の恋愛観を歪めるツールになっています。
【萌え絵】とは日本の漫画 アニメ 、ゲーム などに特有の絵のこと。
ポルノ被害と性暴力を考える会(PAPS)は、「萌えキャラは性差別!」というコラムを公開している。
日本のアニメを見て認知を歪める新たな子どもたちが世界中で生まれ続けるので、アニメを作る日本人のクリエイターたちが早くそれを認識できればと願います。
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