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LGBTコミュニティセンター&キース・へリング

  • 她他后敬子(たたうしろ すきこ)
  • 3月24日
  • 読了時間: 3分

2025/03/24



↓ニューヨークにあるLesbian, Gay, Bisexual & Transgender Community Center

1869年に公立高校として設立され



1983年12月、ニューヨーク市予算委員会はレズビアン&ゲイ コミュニティ サービスセンターに150万ドルで売却することを承認しました。








設立初年度は、60のグループが定期的にセンターに集まり、


2007年までに、300以上のグループがセンターを「ホーム」と呼びました!





現在、「健康と福祉」「LGBTQ+の文化的貢献を讃えること」がこのセンターの主題




毎週6,000人がセンターを訪れ、300以上のグループ(政治活動家~社交クラブまで多岐)が集まっています。






スピーチ、パフォーマンス、ワークショップ、商業スポンサーによる説明会などを行っています。




行われているプログラムは、エイズ患者、薬物乱用問題、メンタルヘルスの問題等



1987年、[ストーンウォールの暴動]20周年を祝う展覧会「The Center Show(センターショウ)」で、



日本でも有名なキース・ヘリングがこのセンターに招かれ、サイトスペシフィック・アートを制作




サイトスペシフィック・アート:特定の場所に存在するために制作された美術作品





当時センターは、【レズビアン&ゲイ コミュニティ サービスセンター】という名前でしたが、現在は【レズビアン・ゲイ・バイセクシャルトランスジェンダー コミュニティセンター】と追加されています。





レズビアン&ゲイという名前にレズビアンが先にくるところに、この時代でも、女性への配慮(筋力が弱い性への配慮)が明らかにあります。






<キース・へリング>


キースへリングは地下鉄に落書きを描くアーティストでした。



-1978年にNYに引っ越し-




地下鉄での作品のサインとして描いた「Radiant Baby ラディアントベイビー」や、


「吠える犬」「UFO」「大きなハート」などで知られるようになっていきます。


マドンナ、ジャン=ミシェル・バスキア、ファブ・ファイブ・フレディと親しくなり、トップアーティストになっていきます。


1日に40枚もの作品を完成させることも!




スターダムにのし上がって、絵の価値は高騰しつづけても、へリングは地下鉄でアートを続け、無料で絵を配り続けました。





<1986年ころ 方向性(社会政治的テーマ)が確立されてくる >


1984年NYポイ捨て禁止ロゴデザイン、1985年国連の青少年年記念のリトグラフ依頼、アフリカ飢饉救済寄付南アフリカの自由ポスター、1986年世界核軍縮のための大行進ポスター、ベルリンの壁の壁画制作、反アパルトヘイトエイズ啓発クラック・コカインの蔓延など





このころ、ポップショップをオープン。

また、へリングの絵を転売する人々が多くなり、地下鉄のアーティストをやめる。





<1987年~晩年>


1987年、同性愛者だと公表


この年HIVに感染、1988年の秋にエイズと診断される。


日本でもポップショップを出したり、各国で壁画アートを描く。




「悪を聞かず、悪を見ず、悪を語らない」と作品を通じてエイズなどの社会問題の回避を批判。



HIV感染後、キースへリングはエイズ患者への理解がアートの主題になり、精力的に取り組む。


↑「エイズの人はあなたやわたしと同じ」と書かれている。


(ここでも、「わたし」より「あなた」を先に書く配慮があることに

わたしたち日本人は気づくべきです。

私とあなた」「僕と君」→「あなたとわたし」「君とぼく」の順


1990年2月16日エイズの合併症で亡くなる。




2014年サンフランシスコで、レインボーオナーウォーク(社会に永続的な影響を与えたクィア{LGBTQ+】初代受賞者の1人となる。




2019年NYで、ナショナル・LGBTQウォール・オブ・オナー殿堂入りしたアメリカ人50人の「パイオニア、先駆者、ヒーロー」の1人となった。


 
 
 

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