死にたい気もちへの支援アイデア
- hojskole
- 2023年10月20日
- 読了時間: 11分
<死にたい人にも24時間ヘルパーはどうか>
I(わたし)は今月から重度の障害があるかたで就労意欲のあるかたを手伝う仕事についた。
『重度障害者等就労支援特別事業』は、この辺り(兵庫県)では今年 始まったようで、この辺りの利用者はまだ1人だけらしい。
兵庫県では現在3都市のみしか事業を行っていない。
始まったばかりの制度とは知らずに 応募した。
↓奈良の就労支援のお知らせ(上)とれいわ新選組の参院議員2人

この重度障がい者への就労支援は、れいわ新選組で重度の身体障がいのある議員2人の提案ではないかと勝手に想像する。
(実際のところは誰の発案かは知りませんが)
やはり、さまざまなチャレンジド(障がい者)やマイノリティを定数性にして議員を選出する必要があると思う。
重度のかたが議員になっただけで、すぐに国会にスロープが出来たのは、殆どの人が知っている。
逆に言えば、何も問題のない健常者とされる人(何の障がいもなく、難病でもなく、何のマイノリティでもなく、貧困でもなく、移民や難民でもない等)は、そこまで議員に必要だろうか?
個人的には議員の1割もいたら良いのではくらいに感じる。
せめて議員の半数は、何かしらの問題を抱えた人にすべきだと考えます。
13年前、デンマークの福祉の本を読んだ時には、1日に13人のヘルパーを自宅に呼んでいるかたの話が載っていた。
Iに仕事をくださる そのかたは、重度訪問介護で24時間ヘルパーをつけている。
実際にヘルパーとして、その方と共に数日働いてみて、急に思いついた。
「この24時間ヘルパー、死にたい気持ちと闘う人も必要なのではないか?」と。
現在、24時間ヘルパーを必要としている重度障がい者の 重要事項は、排泄や褥瘡(じょくそう:床ずれのこと)やペースメーカーの充電などだと思う。
痰の排出で、いざというときに死に直結してしまう事もあるだろう。
重度障がいがある人は、目で見て分かりやすいから、多くの非重度障がい者が 必要な制度だと理解しやすい。
しかし、鬱などで24時間死にたい気持ちと闘っている人の苦しみは、「死にたい願望のない人」に 実に伝わりにくい。
※ペースメーカーとは、心臓が上手く動かず、脈が極端に遅くなった方に対して、心臓の動きを助ける機械である。
「自分だって死にたいときぐらいあった」と言う人、明らかに嫌悪感をあらわにする人、根性論を語る人、「それなら、死んだら(自殺したら)良いんじゃないの?」という人もいる。
Iが相手に苦しいと言っているにも拘らず、Iに対して 「良かれと思って」こう言ってくるかたに何人も出会った。
これからも何人も会うだろう。
逆に最初から 自分事として考えてくれた人はいない。
死にたい気持ちと闘っている人に このようなことを言う人たちは、
分かりやすく言えば、
【心臓にペースメーカーが必要な人がいて、心臓ペースメーカーを壊す行為をしている】感じだ。
こちらからその対応をやめてほしいと言うと、
「私(僕)も、あなた(死にたい気持ちと闘っている人)から傷つけられてきたけど、それは良いというの?」
とも言ってくる。
これも、分かりやすく言えば、
心臓に病気をもたない人が 何かしらの生命維持に関係のない物を 相手から壊されて嫌だなと感じることと、
そのかたが ペースメーカーを入れている人のペースメーカーを壊したこと
を同列に考えてる浅はかさ があり、
その後、
「同じことしているのに、君はいいの?」という言葉を使うことによって、
更に執拗に ペースメーカーを壊しにかかっていること
にも気づけない。
話を戻して、
命に直結しているという点では、1分1秒 死にたい願望と闘っている人こそ 24時間ヘルパーが必要なのではないだろうか とさえ 感じた。
もちろん、死にたい願望のある当事者が望めばだし、利用時間も24時間でなくても良い。
障がいの程度によって、ヘルパーを呼ぶ時間が週に1回4時間という人だっているだろう。
そのように当事者が望む時間で良い。
多いなと感じたり、少ないと感じたらその都度 変更したら良い。
チャレンジドに対しての支援業を営む知り合いが「あの人たち1か月60万円以上も国民の税金 使ってるんだよ」と言ってきたことがあるが、それを聞いてゾッとした。
一体、この人は何を生業(なりわい)にしていると思っているのだろう。。。
重度の障がいがある人にとって24時間ヘルパーがいることは生命線であり、その方々が無駄遣いをしているわけではない。
第一、国の制度であり、横領しているわけではない。
しかも、北欧と違って、これを分かっていない人(しかも 支援業に携わる者たちや精神科医等の専門家たち)が日本には多すぎるが、ヘルパーを使ったり、施設を使うことはすなわり、雇用を生んでいる ということに。
24時間雇用を生めるかたは殆どいない。
ヘルパーやヘルパーを雇う企業・NPO法人が、自分たちはチャレンジドがいるお陰で、仕事があり 企業や法人を維持したり、生活が出来ているのだと どうして思いつかないのか。。。
2019年7月当時 日本維新の会代表の松井一郎・大阪市長は、「れいわ新選組」の参院議員2人の介助費を参院が負担すると決めたことについて「原資は税金。国会議員だけ特別扱いするのか」と疑問を呈し、介助費は自己負担にすべきだと語った。
松井そじんのこの意見は、ある意味では的を得ていて、介助費は参院が負担元ではなく、『一般人だろうと議員だろうと公平に国(税金)から 賄われて当たり前』にすれば良い。
参院議員のように収入が高い重度障がい者は、負担率を変える等 議員自ら法案を作って審議したら良いだろう。
精神障がい者が利用できる福祉サービス(日常生活のための支援)
<ホームヘルプサービス(居宅介護)>
ホームヘルプサービスでは、料理や掃除のヘルパーを呼ぶことができる。
Iは、『精神疾患で子どもの世話が出来にくい人のコミュニティ』に2年程 入っていた。
Iには、発言すると精神不安になる困った癖があり、この頃 このコミュニティも抜けてしまったが。
Iコミュニティには その支援を受けている人がちらほらいて、その方々が話しをしているのを聞いたことがある。
ホームヘルプサービスを受けるためには精神障害者保健福祉手帳の所持か、障害年金受給者である必要があり、申請者には精神障害者居宅介護等利用者証が交付される。
大抵の場合、1割負担で利用できる。
また、訪問介護や精神科デイケアを受けたいときは、主治医に相談後、主治医の同意があれば受けることが出来る。
これらも市役所で自立支援医療の手続きを行うと、1割負担で利用できる。
今回、重度障がい者の24時間ヘルパーに関わってみて、
“死にたいという気持ちを抱えている人の心のケアが 24時間 国の支援で受けられることが必要なのでは?”
というアイデアが浮かんだ。
どちらかというと重度の身体障がい者は、実際は直接命の危機にあるわけではない人が多いようだ(排泄や褥瘡回避が中心)。
実際に命の危険が耐えず続いているのは、死にたい気持ちをずっと抱え続けている人かもしれない。
重度身体障がい者への支援の本を読んでいると、むしろ命の危機は少ないから安心してヘルパーとして働くようにと、当事者本人が書いているほどだ。
※もちろん、重度の身体障がいのかたにも、24時間ヘルパーが必要ではない思っているわけではない。
24時間 死にたい気持ちと闘っている人は、いつも死に直結しすぎて怯えていることを知ってほしくて、こういう書き方になってしまった。
24時間、心のヘルパーを呼べることは、とても心強いのではないか。
<ピア サポート:当事者同士が助け合う>
重度障がい者が1日にヘルパーを数人呼ぶことを、心のヘルパーにも適用してほしい。
重度障がい者のヘルパーと同じように、同じヘルパーが長時間にならないほうが良いと思う。
寝る時間である夜間は1人でも良いが、朝から夜までは3人くらいの交代は最低限 必要だと思う。
朝7時くらいから、夜22時くらいの15時間は5時間ずつ3人とか、4時間くらいが4人でも良いと思う。
また、心のヘルパーは資格だけではなく、当事者でもなれることにしてほしいし、当事者以外も専門家も どちらも必要なのだと規定してほしい。
どちらかだけに偏ってはいけないと思う。
2人以上のヘルパーを頼むことが必須とし、当事者のみになってはいけない、また専門家だけになってはいけないと、決めても良いと思う。
当事者だけになったら、「一緒に死のう」ということになりかねないし、
そのような例が1件あれば、問題になり、すぐに制度が打ちきりになりかねない。
また、当事者以外の専門家のみだと、医師のように 教えてあげているという感じになってしまう。
専門家は、当事者以上の実感をもった知識を得ることは出来ないのだと 当事者に対して学ばせてもらっているという謙虚な気持ちでいなければならない。
ピアサポーター(同じ悩みを持った人がサポーターになること)としてヘルパーになることで、今までの苦しみが他の人の支援になり、そして就労として当然のように お金を得ることが出来る。
苦しんできた人が他の人のためになり、お金も稼ぐことが出来る。
これは 生きる力を得るうえで、とても大切なことではないだろうか。
重度障がいがある方の勉強をして分かったことは「家族に支援をしてもらいたいわけではない」ということ。
「だからと言って、施設で一生を過ごしたい」わけでもない。
だけど、食事や排泄など 大切な事が自分の力だけで出来るわけではないから、24時間ヘルパーを自分につけ、ヘルパーの前で排泄介助されることを受け入れてでも、自分の生活を自宅でおくることを選んでいる。
そして、ヘルパーの雇用を生んだり、企業やNPO法人に利益をもたらしてもいる。
(※利益が全くでなくても、必要なことである)
(もちろん、重度の支援があっても 自宅での生活が叶わない人・自分では選択できない人もいらっしゃるとは思うが、それは今後の人間の課題である。)
排泄介助に関してだが、もしかしたら日本の聾者(ろうしゃ)のかたがたの社会のように、日本の非聾者(耳が聞こえるかた)の社会とは 全く違う社会が築かれる未来があるかもしれない。
聾者のかたがたは、本音と建前ではなく 率直に話すと言われるし、手話を日常に使っている人も多く、手話では指で人を指すことは 全く失礼ではない。
なぜなら、それが生活に必要だからだ。
この様に、聾者のかたが必要なことが、非聾者の社会でマナー違反になるのは、今でもまだ 非チャレンジド(健常者)が学ぶ機会がないか、または すでに学ぶ機会はあるのに 自ら学ぼうと行動しない人間が多いという事である。
「排泄介助が恥ずかしい事」という常識が、「恥ずかしい事でない社会」が築かれる可能性もある。
バリバラというテレビでは排泄問題を抱える当事者たちが率直な意見を交わしていた。
番組では排泄介助問題(特に日本女性たち)は、自身の障がいそのものよりも もっと切実な問題で、自身の排泄困難をどうにかしたいと話していたため、「恥ずかしい事でない社会」は築かれてはいなさそうだが、
それでも一部のかたは、ただただ「恥ずかしい事」だとは思っていない・もしくは、必要な権利・当たり前のことであると捉えている様にも見えて、かっこいいし尊敬する。
もちろん、排泄介助をされることが恥ずかしいと思いながら、受け入れざるを得ずに生活をしている人は、それ以上にかっこよく Iには映るし、尊敬する。
嫌なのに仕方なく耐えていることが、尊敬できないわけがない。
<生きたくない・生まれてきたくなかった という気持ち>
Iは レイプ被害直後から、生きられる気がしなくなった。
考えた末、こんなに悩むなら、生まれてきたくなかったなと思うようになった。
死にたいというより、生まれてきたくなかったという言葉の方がより近い。
また、死にたいというより、積極的安楽死を望んでいるという感じ。
自分の感覚としたら
死にたい < 積極的安楽死 < 生まれてきたくなかった
という感じ。
それは、死ぬのが怖い・痛いのが怖いということが大きい。
(実際に2度の自殺未遂や、小さい自殺未遂は何度もトライしてきたが、いつも怖くて仕方がない)
また、人間という生物に うんざりしていて、こんな世界で生きていたくないということもある。
ともあれ、24時間生きたくないという感情は 被害後 途切れたことはなく、これを耐えることは本当に大変なことである。
また反対に この感情が被害後20年ずっと途切れなかった自分に 安心感もある。
無責任な人が放つ「その内 良い事がある」「雨はいつか晴れる」「苦しい経験を経たおかげで いつか強い人間になれる」という言葉には、安らぐどころか 冷たさを感じ、どうしても不信感が湧いてくる。
この「生きたくない」という感情が続いてくれた事が、自分をどこかで安心させてくれている。
それは、「レイプや女性差別、あらゆる弱者やマイノリティで生きること が、『いつか良い社会になればそれまでのことも報われる』なんていうハッピーエンドなんてない」という確信があるから。
「いつか それまでのことも報われる」という言葉の可否は、日本こそ証明してくれている。
それはまた長くなるだろうから、他の記事に載せる
今でも戦争中の国は多く、人間界だけでもそのような醜態だが、人間が他の生物に与える加害は もちろん それ以上だ。
Iにとって、レイプ被害+日本の女性蔑視だけでも生きていくのは厳しいのだが、自分が日本人として加害国であることや、人間として 他の生物への加害を考えると 、生まれてきたなかったな となる。
しかし日本では、積極的安楽死は認められず、自死を選ぶまでは、生き地獄と共存して生きていくしかない。
生きたくないのに長い時間を生きるという苦痛に、24時間の心のヘルパーが必要な人はいると思う。
もちろん、重度の障がい者とは、ヘルパーを呼ばない時間が変わってくるだろう。
例えば、恋人と過ごす時など。
生きたくないから死ねばよいということではなく、死ぬまでは苦しい時間を過ごしているということに配慮してほしい。
一般的に「レイプ被害は『魂の殺人』」、「小児性欲の被害者は死を生きるようになる」と言うようだが、Iの実感としては、「レイプ被害自体は『魂の殺人』で、その後の生活は死を生きることになる」と言う感じだ。
その長い人生の時間は苦痛である。
精神科医の承諾があれば、当事者は無料で良いと思う。
(例えば、年金受給者は1割負担とか、年800万円以上の収入がある人は1割負担とかはあっても良いかもしれないが)
死にたい気持ちの強い当事者の雇用も生むのだから、生きる力になると思う。
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