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2.【差別は誰の問題か】声をあげるということ

  • 她他后敬子(たたうしろ すきこ)
  • 2023年5月30日
  • 読了時間: 10分

更新日:2023年6月1日


2023/05/30




少しでも気がついていない差別語があれば、誰かが声をあげ、1人でも多くのが気づいていく方法しかないと考えます。


度も度も。



マイノリティは、マジョリティが気づいてくれないかと、千年も期待し続けています。



残念ながら、声をあげずにマジョリティは気づくことが ほぼ出来ませんでした。



マイノリティの問題は、当事者が声をあげなくても、マジョリティこそが考え出し動すべきことなのですが、それは叶いませんでした。





マイノリティ当事者が声を上げた時、反発は必ず起こります。



だから、本当は 声をあげずに マジョリティに気づいてもらいたい。



言われた方も 言う方も、そういうつもりはなくても、どちらも勝手についてしまいます。


しかし、こういったわけで、気づいた(多くはマイノリティが声をあげるしかないのです。


だから、マジョリティは【自分の問題だ】、【自分が加害者なんだ】という意識で取り組む必があるのです。





声をあげた時、「性的マイノリティはキチガイだ」「ペットは家族だ」「性は被害者意識が強い」「売名為だ」「逆差別だ」・・・などと言うのは お門違いです。



本来は マジョリティの問題です。



マジョリティが 問題に気づかなければいけなかったのです。




今まで 間の歴史が続いている間、千年と 間は その問題を解決できなかったということです。





の一生は たかだか100年です。




声をあげてくれた当事者は、


死ぬまでの限りある貴重な時間に 、恐ろしい見に満ちた世界にもかかわらず、


敢に問題をえようとしてくれたということ。




言いづらいこと、明るみにならなかったことを カミングアウトした当事者 は 少数派に映ります。



(実際にそのマイノリティが少数派な場合もありますし、性差別のように、実際に差別に遭っている口は大人数なのに、マイノリティという言葉で語られる・それ自体が差別であることも あります)



マジョリティーは「このはおかしい」と結論 けてしまいます。


そして その残念な意見に賛同するも 容易に見つかります。




声をあげた当事者は 間社会のために、とても不なボランティアをしてくれているのです。



そのかたが沈黙を続けてしまえば、また歴史は 簡単に100年 過ぎてしまいます。




声をあげた当事者は 、問題が明るみにならない時間を過ごす苦しみをっています。


また、に 自分と同じように苦しむのことを 考えています。




えば、ハンセン病、性的マイノリティ、エイズに罹患、性暴力にあっているなど、さまざまな当事者がいます。


その当事者が、意を決してカミングアウトしたら、すなわち、そのかたが 様々な問題・差別を 自分以外のに説明できないとダメなのでしょうか?



道理があっていないと いけないのでしょうか?



その当事者が 過去に万引きや不をしていたら、カミングアウトしたその物事がなかったことになったり、その物事自体も おかしいと断定されてしまうのでしょうか?


(※万引きや不自体にも理由がある場合があり、その場合Ⅰ〔わたし〕は、おかしいとは思っていませんが、説明のために こう書いています)




カミングアウトが早ければ早いほど 社会は問題を把握でき、そのきな問題によって苦しんだり、自殺するを助けられる可能性が生まれます。




しかし、当事者にとって、問題をった時点からカミングアウトが早ければ、混乱状態にあったり、への説明を考える時間が少なすぎたりします。


そのため、に非難されたり、無視されたり、間扱いされなかったりします。


また反対に、カミングアウトが遅ければ、それを理由に非難するも出てきます。



【時効という制度】は 被害に遭ったのに犯罪者を捕まえられなかった当事者がいるということ。


【時効という制度】は、 被害者を 更に 一生苦しめます。



性暴力被害者が 時効にかかってしまうと、の犯罪と違う反応をみせます。



警察も 裁判所など法曹三者(弁護士・検事・裁判官)も、多くのも「なぜ すぐに被害を届けなかったのか?」「訴えることが遅すぎて無理ですね」などと 苦しんでいる当事者に、無によるトドメを刺します。



実際にがそのような言葉に出さなくても、すでに一度 親告罪による社会が築かれてしまったなので、被害者は警察へ通報をしなかった自分を責めます。



現在は非親告罪になっていますが、日本は「被害者本の意思が分からない」「本の意思が最優先」という もっともらしい理由で動きません。



犯人が捕まらないことが 被害者の本当の望みなはずがないけれども。



の犯罪と同様、加害者は捕まるべきです。




本来、被害に遭ったことを言うのは、遅くても良いはずです。



時効があって訴えることを諦めるために、カミングアウトしづらくもなります。


1で抱えこみ、孤独になります。



時効という制度が悪いのに、当事者は 自分自身を責めてしまいます。



カミングアウトしてもしなくても、苦しむ構造が築かれています。



法律も も 加害者の味方になっていることに 気づけません。






当事者は、毎秒その苦しみを耐え続けています。



当事者 以外が いくら本を読んでもかなわない 実体験を続けているはずです。



精神科医が「患者」や「クライアント」と呼ぶは、本当は現しているかた のはず。


臨床をしている医師にとって、その苦しみを耐え続けている貴重なかた のはず。


その苦しみを現している人、した、し続けているで、教えをこうべきであった人 であったず。





就労施設で、職員が「利用者」と呼ぶ「自閉症スペクトラム」等の当事者は、本当はその苦しみを現しているかたなはず。


本来なら、職員が 教えをこうべきであったはず。



職員や医師が、当事者より知識があったとしても、当事者以上のことを現しているはずがない。



どうして、専門家は、当事者を自分より上だと 考えることが出来ないのでしょうか。


どうして、専門家は、指導したり、教えたりすること自体が 上からしてしまっている可能性を考えないのでしょうか。


専門家が、病状を患者に教える必があることを 否定しているのではありません。

それは、もちろん 必なことです。



しかし、相手が自分より上だと認識したうえで、病状の説明をすることは、当然 可能です。


対等と考えるは、実は差別をしています。


自分より上だと考えて、やっと 差別の状態から少し対等に近づく程度(しかし対等とは程遠い)ということが見えません。



よくよく考えれば、その苦しみを現しているのは 誰なのか、現していないのは 誰なのか 分かるはずなのに、そんな簡単なことが見えません。




このように 加害者意識のないこそ、加害者になってしまっているのです。




声をあげてくださったかたがしていることは、今まさに現し続けていることであり、の一生で解明できることを 遥かに越しているのです。



に 1人の当事者が 自身に起こった事を すべて解明できていたとしても、自分からぼうとしていないを 納得させることなど 出来るわけがありません。


それは、当事者の問題ではありません。

(むしろ逆で 自らぼうとしないから無自覚の被害にあっています


自分からぼうとしていないは 自分に加害者意識が なさすぎるのです。



:黒差別問題は誰の問題か・・・声をあげ続けている黒のかたの問題でしょうか?


本当は黒のかた以外の問題ではないでしょうか?



社会が黒人奴隷や黒差別を生んだのなら、一番考えて行動すべきは白なはずです。


一度でも隷や差別を生んだなら、【差別禁止法】のようなものを白社会が作っても、なくなるものではないと心ることです。



そして もちろん、自分達 日本多数も 黒差別に対してマジョリティです。





※2013年、白警官が黒人男性のジョージ・フロイドさんを死なせる事件が発生。


翌年2014年、テンプル大のロリ・サープス准教授が【黒のことをblack」からBlack」文字にすることで 敬意を表す】と ニューヨークタイムズに寄稿。


今後、この寄稿を翻訳してみたいと思います!


【「black」という小文で表すと、「黒色」を意味する形容詞がついてしまう。

しかし、「Black」と文字で表すと固有名詞として表すことが出来るという。】


2020年6月19日AP通信が「種や民族、文的意味合いで用いる場合、文字のBlackを使う」という用語指針を発表。6月30日ニューヨークタイムズも追随。


<黒差別は 黒ではなく 白の問題、

日本のアジア差別は アジアのかたがたの問題ではなく 日本の問題、

性差別は性のもんだいではなく 性の問題>



差別の問題は、白問題と言うことが理解出来るなら、自分達 日本がアジア中心にしてきたことは 日本問題だという事です。



特に、北朝鮮、韓国、中国、フィリピン

に日本がしたこと抜きに、その国やその国民自身の問題と言い続ける日本は、上記に書いた当たり前のことが分からない加害者です。


第二次世界戦などの当時ではなく、現在進行形の加害者です。




※太平洋戦争でアジア以外への加害も多い。

国際法で禁止されているのに無視しアメリカに先制攻撃をしたり、オランダ人女性を性奴隷にする等、国際法を無視した卑劣な加害が日本には多い。


「核戦争加害国アメリカの被害国」と言うイメージを作る前に、アメリカを世界大戦に巻き込むことになった先制攻撃をした事実を見つめ続け、謝り続ける必が日本にある。


先制攻撃をされた国が、その国のもつ最大の攻撃でし返すのは 当たり前だと言える。

核兵器禁止条約が初めて国際条約になったのは、なんと2017年、このごろだ。



当時、日本は国際法を無視できる最低のマナー国であったことは事実で、アメリカとしては、その国と戦争をしなければならなかった。


そのような卑劣な行為が出来る国と今まで通りに戦って、自国民を無駄死にさせたくはない。




第二次世界大戦の枢軸国の代表は、ドイツがヒトラー、イタリアはファシズムで有名なムッソリーニ、そして日本の東条英機なのであって、この恐ろしい2人と日本は手を組んでいる。


こんな基本的なことぐらい、日本は歴史で言う必があると思う。


もしかしたら 残念なことに、こんな基本的なことさえ、自分で調べようと出来ないを育てることが日本の目的だとしたら、成功している。


教育にまかせていたら、こういう危険があるので、やはり自分で1つでも多くの加害行為をあげられるように調べるべきだと思う。


酷い国ほど、政治や国や教育は自国が素晴らしいと言う傾向にあるから、政治や教育にせきったり、用しすぎないように、自分が加害者である可能性のあることを1つでも見つけること。


そんな事実なかったというのではなく、可能性があることを調べ、覚える努力をするということ。



もちろん、国 自身にも問題はあるでしょう。

どこでも間が集まっているのですから、良い事ばかりではありません。


しかし、その原因をった張本が、自分、自分達、自分たちの祖先だ という加害者意識が欠落しているのです。




者のことではなく、自分がのマジョリティであるか、可能性が1%でもあることを探そうと言っているのです。



それは国のかたも同様で、自分がのマジョリティであるかを考えれば良いと思う。


様々なマイノリティ問題がありますが、間意識などという感覚では甘い(残酷だ)と感じます。



当事者のかたは「間で良い」「間意識を持ってくれてしい」と言うも多いでしょうが、当事者がそう言ってくれることと、それを鵜吞みにして、マジョリティである自分が「間だ」と考えてしまうことは、全く意味が違います。




どんなも自分が マジョリティにいる物事は 1つ 2つではありません。





まずは自分がのマジョリティであるかを、1つでも多くろうとすること。



そして、「マジョリティは加害者なんだ」という意識を持ち、考え、動くことが求められています。





<END>


マイノリティとは:社会的少数者と言う意味。


マイノリティとマジョリティの数が逆転することがあるが、一度マイノリティに位置づけられたものがマジョリティになるは少ない。


性がマイノリティと言われるとき:女男の人口比が同じくらいに関わらず、マイノリティー(少数者)と言われるときには、権力の差や差別的遇がある場合に使用されてきた。


ドミナントマイノリティとは:ドミナントは支配的という意味。

これは通常使われるマイノリティとは真逆の性質をもつ言葉。

支配的少数者である社長など、少数者・少数派でも発言力が強く、社会的影響力がきい場合、その集団が強い立場にある場合の少数者を表す。







 
 
 

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