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パウリ・マレー① 1910年生まれ/公民権活動家&ノンバイナリー

  • 她他后敬子(たたうしろ すきこ)
  • 2024年4月9日
  • 読了時間: 8分

2024年4月9日


Anna Pauline "Pauli" Murray (November 20, 1910 – July 1, 1985) was an American civil rights activist, advocate, legal scholar and theorist, author and – later in life – an Episcopal priest.


Murray's work influenced the civil rights movement and expanded legal protection for gender equality.





アンナ・ポーリン・“パウリ”・マレー(1910年11月20日 – 1985年7月1日)は、アメリカの公民権活動家で擁護者、法学者、理論家、作家、そして晩年は聖公会(英国国教会派)の司祭です。


マレーの業績は 公民権運動に影響を与え、ジェンダー平等のための法的保護を拡大しました。


the civil rights movement;公民権運動

civil rights activist;公民権活動家

gender equality;ジェンダー平等

Episcopal;イピスカポル、英国国教会派の




Born in Baltimore, Maryland, Murray was essentially orphaned and then raised mostly by her maternal aunt in Durham, North Carolina.


At age 16, she moved to New York City to attend Hunter College, and graduated with a Bachelor of Arts degree in English in 1933.


In 1940, Murray sat in the whites-only section of a Virginia bus with a friend, and they were arrested for violating state segregation laws.



マレーはメリーランド州ボルチモアで生まれ、孤児であり、その後ノースカロライナ州ダーラムの母方の御母(おば;叔母&伯母)によって育てられた。



16 歳のとき、マレーはハンター大学に通うためにニューヨーク市に移り、1933 年に英語で教養学士の学位を取得して卒業しました。



1940 年、マレーはバージニア州のバスの白人専用セクションに友人と座り、 州人種差別法違反で逮捕されてしまいます!




<加筆;マレーは1938 年にバージニア州で隔離されたバスの後部座席に座ることを拒否したとして逮捕され、投獄されています。


あのローザ パークスがバス隔離に抵抗する国民的シンボルになる 15 年も前のことです。


この時、マレーは下記に記述するジム・クロウの人種差別に反対するために非暴力行動をとった最初のアフリカ系アメリカ人となりました。

マレーはその逮捕時に男装していて、ガールフレンドのアデレーン・“マック”・マクビーンとともに逮捕されています>



Bachelor of Arts;教養学士(文学士)





This incident, and her subsequent involvement with the socialist Workers' Defense League, led her to pursue her career goal of working as a civil rights lawyer.


She enrolled in the law school at Howard University, where she was the only woman in her class.


このバスの件や その後の社会主義労働者防衛同盟に参加することによって、マレーは公民権の弁護士として働くというキャリアを求めるようになります。




その後 ハワード大学のロースクールに入学しますが、クラスの女性は なんとマレーしかいませんでした。


Murray graduated first in the class of 1944, but she was denied the chance to do post-graduate work at Harvard University because of her gender.


She called such prejudice against women "Jane Crow", alluding to the Jim Crow laws that enforced racial segregation in the Southern United States.


She earned a master's degree in law at University of California, Berkeley, and in 1965 she became the first African American to receive a Doctor of Juridical Science degree from Yale Law School.



マレーは 1944 年に首席で卒業したのですが、ジェンダー(女性差別)を理由ハーバード大学院に行く機会を得られませんでした。



マレーは女性に対するそのような偏見を「ジェーン・クロウ」と呼び、米国南部で人種差別を強制したジム・クロウ法を匂わせて発言します。





<加筆:このことで、 マレーはエレノア・ルーズベルトに連絡を取り、フランクリン・ルーズベルト大統領がマレー支持の手紙を書いたのにもかかわらず、ハーバード大学は「女性の入学は許可できない」と拒否しています。


ややこしいのですが、学んだハワード大学と、ハーバード大学が出てきています。

女性差別で受け入れなかったのはハーバード大学です>





その後、マレーはカリフォルニア大学バークレー校で法学修士号を取得し、

1965 年、イェール大学ロースクールから法科学博士号を取得した最初のアフリカ系アメリカ人となります!



allude; アルード、それとなく言及する、ほのめかす




<加筆:ジム・クロウ法(Jim Crow laws)は、1876年から1964年にかけて存在した、人種差別的内容を含むアメリカ合衆国南部諸州の州法の総称


1828年白人が顔を黒塗りして黒人に扮して歌うコメディショー「ミンストレル・ショー」の曲『ジャンプ・ジム・クロウ』が、大ヒットし全米に広まる。


田舎のみすぼらしい黒人キャラクターがジム・クロウ、都会の黒人キャラクターがジップ・クーンでショーの定番キャラクターになった。


1837年までに【ジム・クロウ】は黒人隔離を指す言葉として使われるようになる>




As a lawyer, Murray argued for civil rights and women's rights.


National Association for the Advancement of Colored People (NAACP) Chief Counsel Thurgood Marshall called Murray's 1950 book States' Laws on Race and Color, the "bible" of the civil rights movement.


マレーは弁護士として公民権と女性の権利を主張しました。


全米有色人種地位向上協会(NAACP)の首席顧問サーグッド・マーシャルは、マレーの1950年の著書『人種と肌の色に関するアメリカ法(原題:Laws on Race and Color)』を公民権運動の「バイブル」と呼びました。




<加筆:サーグッド・マーシャル;1908~1993、アフリカ系アメリカ人で初めて米最高裁判所判事になった人物



Murray was appointed by President John F. Kennedy to serve on the 1961–1963 Presidential Commission on the Status of Women.



ジョン・F・ケネディ大統領は1961年~1963年(51才~53才)女性の地位に関する大統領委員会の委員にマレーを任命します。



Commission;委任、依頼


In 1966, she was a co-founder of the National Organization for Women.


Ruth Bader Ginsburg named Murray as a coauthor of the ACLU brief in the landmark 1971 Supreme Court case Reed v. Reed, in recognition of her pioneering work on gender discrimination.



This case articulated the "failure of the courts to recognize sex discrimination for what it is and its common features with other types of arbitrary discrimination."



1966 年(55才)、マレーは全米女性組織の共同創設者になりました。





ルース・ベイダー・ギンズバーグ(RBG)は、性差別に関する彼女の先駆的な業績を評価して、1971年の画期的な最高裁判所リード対リード訴訟のACLU準備書面の共著者にマレーを指名しました。


この訴訟は、「裁判所が性差別の本質と、他の種類の恣意的差別との共通点を認識していないこと」を明確に示しました。



<加筆:RBGは、最高裁判事になる前に、マレーの法的主張に従って、性差別禁止における重要な訴訟「リード対リード訴訟」に勝利しています。>


arbitrary;任意の、恣意的な=気ままで自分勝手なさまに物事をすること






Murray held faculty or administrative positions at the Ghana School of Law, Benedict College, and Brandeis University.


In 1973, Murray left academia for activities associated with the Episcopal Church.


She became an ordained priest in 1977, among the first generation of women priests and the first African-American woman to be ordained as an Episcopal priest.


マレーは、ガーナ法科大学院、ベネディクト大学、ブランダイス大学で教員または管理職を歴任。



1973 年(63才) 、マレーは聖公会(英国国教会派)に関連した活動のため学界を去りました。



彼女は 1977 年(67才)に司祭に叙階され、第一世代の女性司祭の一人となり、聖公会司祭に叙階された最初のアフリカ系アメリカ人女性となりました。


In addition to her legal and advocacy work, Murray published two well-reviewed autobiographies and a volume of poetry.


Initially published in 1970, the poetry collection, Dark Testament, was reissued in 2018.


Murray's sexual and gender identity did not fit within the prevailing norms.



She had a brief, annulled marriage to a yoman, and several deep relationships with women.


In her younger years, she occasionally had passed as a teenage boy.




マレーは、法的活動と権利擁護活動をしながら、(評判高い) 2 冊の自伝本と 詩の本を出しました。



1970年に初版が出版された詩集『Dark Testament(暗黒の告白)』は、2018年に再版されています!


マレーの性的アイデンティティとジェンダーアイデンティティは、一般的な規範の範囲内に収まりませんでした。


彼女は男性との短い結婚生活を破棄し、女性と何度か深い関係を持った


彼女の若い頃は、しばしば 10代の男の子として過ごした





Testament; 遺言、遺書、聖書、証左、あかし、信条、告白


annul; 無効にする、取り消す、廃棄する




<ここからは、ウィキペディアの翻訳ではなく、Iが勝手に書いてます>



今週フランスで3人の女性がコインになることがニュースになっていましたが、アメリカでは毎年女性硬貨を4年間発行しているそうです。



個人的には、その国の一番高いお金に女性を使わないと、結局は取り組んだことに見えないとずっと言ってきているのですが、こういう取り組みも良いですね!





2022年~2025年、アメリカに貢献した先駆的な女性5人の25セント硬貨を毎年5人ずつ、発行している。





⇈2022年はマヤ・アンジェロウ(アフリカ系米国人作家で公民権運動家)も選ばれた。


⇊2022年



⇊2023年





⇊2024年今年はパウリマレーが5人の1人に!!





マレーは、これまで女性として書かれ、敬称も女性のShe-her-hersが使われていましたが、少数の学者がマレーにジェンダーニュートラルの代名詞を使うか、男性名詞を使う方が適切ではないかと言っているようです。


マレーは男装して女性のパートナーとバスに乗って逮捕されていますし、幼少期から自分が男性だという意識を持っており、より男性になるためにテストステロンを投与するよう医師を説得しようとしたが失敗したとも書いています。


また、インターセックスの可能性を調べるための検査手術を要求して、拒否されています。




⇊2024年夏までに発行されるフランスのコイン



シモーヌ・ヴェイル(左)、マリー・キュリー(中)、ジョゼフィーヌ・ベイカー(右)

 
 
 

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